ダグラスの日記

これはみんなの為のブログであり、誰のためのブログでもない

「バーチャルYouTuberとは誰か?」という動画を見た

こんなポスト・動画が流れてきた。


 

 

 

「「バーチャルYouTuber」とは誰を指し示すのか?」(フィルカル Vol 7, No 2より)

という論文を取り上げている。

 

 

fashiontechnews.zozo.com

 

バーチャルYouTuberとは誰か?

ラジオの内容の箇条書きメモ。

  •  山野弘樹
  • アニメの声優=VTuberの配信者?
    • そうはいかない
  • VTuberとは誰なのか?
    • 3つの説
      • 配信者説
      • 虚構的存在者説(イラスト)
      • 両立説(配信者でもあり虚構的存在者でもある)
  • 配信者説
    • アバターはあくまで飾りであり仮面
    • VTuberは配信者として動かしている生身の人間
  • 虚構的存在者説
  • 両立説
    • 答えは出ていない
  • VTuberの三層理論
    • メディアペルソナ
    • 演じるのではなく装う
    • パーソン寄りなのかキャラクター寄りなのか
      • 結局、配信者か虚構的存在者なのか、になっている
  • 独立節

 

「儒烏風亭らでん」というホロライブ所属VTuber

VTuberの哲学に興味があるらしい。

 

SNSでやり取りもしていた。

 

 

 

hololive.hololivepro.com

 

儒烏風亭らでんJuufuutei Raden

「ちょいと一席付き合ってみませんか?」

伝統と革新に身を包み、落語家に浪漫を抱くおばあちゃん子。
新旧和洋を問わず文化・芸能を愛しており、美術館通いの結果、金欠気味の日々を過ごしている。
決してお酒の買いすぎが原因ではない。
落語と出会ってからはより話すことが好きになり、噺作りにも挑戦中。

 

気になる存在だ。

 

VTuberというアバターを纏った上で、更に素顔をさらさず能面を付けている。

顔を隠したうえで、更に顔を隠す。

ギミックの一つだと言われればそれまでだが、「能」には、現実と非現実を繋げる舞台装置、世界観がある。そこを深堀すると、あらたなVTuberの哲学を考えられるかもしれないと感じた。

 

近いうち、哲学ではなく、能を題材に、VTuber論(儒烏風亭らでん論)を語ることになるだろう。

VTuberキズナアイが発祥といわれ、日本発祥の文化である。

日本発祥の文化であるという点でも、能との関連を感じずにはいられない。

 

儒烏風亭らでんは能面をつけており、まさにシテだ。

能では演者は、「鏡の間」にまず入り、そこから「橋懸り」をたどって、「能舞台」へあがる。

能では、橋懸りは、あの世からこの世へ渡された架け橋である。

能舞台は普通の舞台と違って、張り出し舞台となっており、観客席に食い込む形になっている。これは、見手(観客)と演者が一体になるような効果を得るためだという。

 

普通の舞台=動画

張り出し舞台=配信

 

VTuberは、配信を行い、視聴者のリアルタイムコメントと双方向コミュニケーションを行うことで、初めて配信動画が完成される。

能は、シテが観客と混然一体となった張り出し舞台にあがり、見手(観客)を幽玄に導き、見手との融合をはかる。(世阿弥の著書「三道」にそのような記載がある)

 

似ていないだろうか?その辺も今度論じたい。