ダグラスの日記

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悪人か弱者か化物か

読んだ。この記事は、意外なことに考えさせられる内容だった。

 

anond.hatelabo.jp

 

ブコメも、Bさんと同じような人々と接した経験のある人々の声が多く寄せられており、社会には彼と同様の特徴を持つ人が結構いることがうかがえる。

 

ただ、問題はここからだ。Bさんが悪意を持った人間とは限らない。むしろ彼が意図的に悪いことをしているとは考えにくい、という事実。これが状況を複雑にしている。

 

他にも、自分の過失を認められない、謝罪ができない、フォローに対するお礼ができない、責任転嫁がひどい。

どう考えてもBさんのミスが原因で起こったトラブルでもなぜか自分のせいと認めず、謝罪しない。

仕方ないから俺がなんとかフォローして関係者に頭さげてまわっても、俺に対する礼はなし。

たとえば、過失を認められない理由は、彼が悪人だからではなく、失敗を認めることへの恐れ、謝罪が自分の過ちを認めることと結びつくという不安から来る可能性がある。また、お礼ができない理由も、恩知らずだからではなく、自分が受けている恩恵を理解するだけの能力がない可能性があるだろう。

 

支離滅裂な言い訳ばかりして、隙あらば他人に責任を擦り付けるようなことを言う。

何度も注意したからか質問の頻発は多少マシになったが、俺が外出する直前に質問してくる癖だけはどうしても直らなかった。

10時に会社を出る日は、必ずと言っていいほど9時55分を過ぎてから質問してくる。

その他にも、自己保身からくる注意をそらす言い訳や他人への責任転嫁、さらには質問のタイミングの問題についても、彼の行動の理由は単純な悪意だけではなく、自分が傷つくことを避けたいという感情に基づいている可能性が考えられる。

 

優しい人を鬼にしてしまうようなやばい奴はいる。

『優しい人を鬼にするやばい奴』という点も、ただ単に悪人だけでなく、業務の能力不足や人間関係のスキル不足からくる可能性もある。

 

なんか化物みたいだな。
そう思ったとき、ちょっと楽になった。
Bさんは化物。
人間じゃない。
だから人間の理屈は通じない。
化物相手に必死に人間のルールを教えようと無駄だ。

「化物」という表現。それを思いついた瞬間、少し楽になったのかもしれない。アドラー心理学の言葉「他人は変わらない。自分を変えよう」により、認識や物事の捉え方を変えることで、ストレスを軽減する効果があるのだろう。

 

ここで思い出すのは以前書いた記事だ。 

もちろん、シニアエンジニアにそこまでの労力を払う責任はないかもしれない。しかし、「やれることは全部やった」と自己満足するのは、誤りや自己欺瞞である可能性がある。

私自身、この問題に対して強い関心を持っている。特に、「自己欺瞞という小さな箱からどう脱するか」についての問題は、私にとって重要だ。

そして何より、希望のある方向に賭けたいと思う。

ジュニア採用の絶望と希望 - ダグラスの日記

 

希望は本当にあったのだろうか?

エラーに強い開発サイクルの構築
自動化とフェイルセーフ技術の推進
ジュニアとシニアの組み合わせ
ジュニアエンジニアの特徴を活用すること

 

これが構築できたとして、では化物レベルの人材にも適用できるのだろうか?

 

ただ、1行だけ見逃してしまいそうな1行だけ光明を見つけた。

ルーチンの業務はある程度できるのだが、それ以外は壊滅的にできない。

ルーチンができる。全てができないわけでは無い。ルーチンができるというのは、何もできないに比べれば、小さなものだとはいえ能力だ。

 

ふと、以前の記事を思い出した。

リモートワーク。人との物理的接触を調整することが可能になった。

産み出した時間、自分が必要と思うことに集中したり、自分のペースで進むことが可能になった。

また、自分自身と向き合う時間を作り出すことができる。

外部のノイズから逃れ、自分だけの空間で創造的に働くことができる

競争から創造へ ~リモートワークという新風~ - ダグラスの日記

 

リモートワークでより創造的になろうという趣旨で書いたのだが、今回に限っては「外部のノイズから逃れ」という部分がヒントになるかも知れない。(言い方は悪いが)Bさんというノイズから逃れるために、Bさんをリモートワークとして、ルーチンをやって貰う。

「リモートワークはサボるから駄目だ」という言説が一部から聞こえてくるが、逆の発想で、サボって貰っても良い人にリモートワークをして貰うという方向もあるのかもしれない。どうせ飼い殺しになる未来が見えているのだから・・・。

 

弱者の問題の話になった。そのうち、弱者問題についても考察したい。